夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

2008年3月のブログ記事

  • 小野小町4

    小野小町にまつわる伝説には二つの方向があると思う。一つには深草の少将の百夜通いの話と、老いて落魄し行き倒れる小町である。 小町のこの二つの女性像には理由がないわけではない。いずれも小町の残したわずかな歌の中にその根拠があるように思う。 深草の少将の百夜通いの言い伝えは、まことに美しく幻想的でさえあ... 続きをみる

  • 小野小町3

    古今和歌集の中でも実際にその贈答歌の中で、互いの名前が記録されて、小野小町との人間関係が成立していると考えられる可能性の高いのは、巻第十二恋歌二で(556に対する557)小町の返歌のある安部清行、また巻十八雑歌下(938)に小町の返歌がある文屋康秀、それに後撰集の中に歌を贈ったことが記されている僧... 続きをみる

  • 小野小町2

    しかし、古今和歌集に収められてある小町の和歌を詠む限り、紀淑望の「艶にして気力なし。病める婦の花粉を着けたるがごとし」というのは少し言い過ぎのような気がする。やはり、紀貫之ぐらいの評価が妥当であると思う。そこにみられるのは、和歌の創作よりも、恋愛そのものに関心を示している女性らしいふつうの女性像で... 続きをみる

  • 小野小町

    小野の随心院で、小野小町ゆかりの「はねず踊り」の催しがあるそうで、一度訪ねてみようと思い、その際、小野小町などについてもう少し詳しく知ってから行けば興味も増すのではないかと少し調べてみた。 これまで、小野小町について知っていることと言えば、せいぜい百人一首に収められている「花の色は移りにけりな い... 続きをみる

  • 概念論としての桐壺の更衣考

    これまでの従来の概念観によれば、概念とは、個別具体的な事物についての経験から、その共通点を帰納して作られた単なる「観念」としてとらえられてきた。そうした「概念観」の欠陥は、ふつうの単なる帰納法科学にすぎない生物学や人類学のレベルならとにかく、それを超えた自己運動する生命などを科学の対象にできないこ... 続きをみる

  • 書評『近代思想と源氏物語 』橡川一朗

    書評『近代思想と源氏物語 ―――大いなる否定』橡川一朗 1990年4月15日 花伝社 一昔前に手に入れはしたけれど、とくに気を入れて読みもしなかった本を取り出してもう一度読んだ。あまり生産的な仕事であるとも思えないが、 それでも一応は読んでしまったので、 とりあえず書評というか感想文は書いておこう... 続きをみる