夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

2008年10月のブログ記事

  • 短歌と哲学(4)

    ここで古典作品の二三を検討することで、短歌における芸術と哲学の関係について考察してみたい。 まず『伊勢物語』の中からいくつかの作品を取りあげてみる。 第九十七段 四十の賀の歌 むかし、堀川のおほいもうち君と申す、いまそかりけり。四十の賀、九条の家にてせられける日、中将なりける翁、 櫻花ちりかひ曇れ... 続きをみる

  • 短歌と哲学(3)

    文学は言語のもつリズム、音韻によって本来的に音楽性を含んでいる。また言語は概念と表裏一体である同時に、たとえ抽象的ではあってもその表象が色彩や形象をもつ点で美術の性格の側面も併せもっている。それゆえ言語芸術である文学は芸術と哲学の境界に位置する。 その文学の一ジャンルである短歌は、もちろん個別芸術... 続きをみる

  • 森元首相の戦後教育批判

    <森元首相>「戦後教育の過ち」日教組を批判 自民党の文教族で、総理大臣在任中は、もっとも無能な総理大臣と言われて支持率も最低だった森喜朗元首相が、日本の戦後教育を批判しているらしい。 だが果たして、この森喜朗氏に戦後の日本の教育について批判する資格があるのだろうか。 日教組の教育に対する批判は国民... 続きをみる

  • オルフォーさんに

    オルフォーさん、はじめまして。コメントありがとうございました。たぶん西尾幹二氏の「インターネット日録」のリンクから来られたのだと思います。 あなたは、西尾幹二氏を「興味深い人物」だとおっしゃられていますが、私にはなぜ戦後の日本には西尾幹二氏に類するような人材が少ないかという問題意識に連なります。 ... 続きをみる

  • 短歌と哲学(2)

    芸術作品に共通する特徴の一つとして、その軽やかな美しさというものがある。その典型が音楽である。音楽はあらゆる芸術の中でももっとも抽象的で、それゆえあらゆる現実存在の重苦しさからは解き放たれている。それは時間と空間のもっとも抽象的な世界へと私たちを誘うものであり、音楽は一つの啓示である。少なくとも啓... 続きをみる

  • 短歌と哲学(1)

    1507 雲につきてうかれのみゆく心をば山にかけてをとめんとぞ思ふ 西行は山の麓に流れ行く雲を見ている。と同時にその雲に誘われるように自分の心に漂泊への思いの兆し始めているのを自覚している。もちろん私たちには西行がどのような場所でこの歌を詠じたのか知るよしもない。 峠を上りつめたところ正面にその山... 続きをみる