11月29日(水)のTW:#尾高朝雄『法の窮極に在るもの』ノート(8)
>> <<引き続き、尾高からのノート。 シュミットの具体的秩序の理論は、法の内容から生活の潤いとか情操の深さとかというものを全て捨象してしまう規範論理主義や、赤裸々な力の抗争と力の勝利とを以って法を動かす最後のものとみる実力決定主義に対して、法のもつ淳風美俗的な要素を &m... 続きをみる
―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)
>> <<引き続き、尾高からのノート。 シュミットの具体的秩序の理論は、法の内容から生活の潤いとか情操の深さとかというものを全て捨象してしまう規範論理主義や、赤裸々な力の抗争と力の勝利とを以って法を動かす最後のものとみる実力決定主義に対して、法のもつ淳風美俗的な要素を &m... 続きをみる
>> <<引き続き、尾高からのノート。 第四章 法の原動者としての政治 一 法の窮極にある政治 政治は、道徳・宗教・経済・文化、等の多面・多角のの理念を包容し、しかも、これを事実上の力と結びつける。そして、理念と事実とを綜合する力によって、法を作り、法を動かし、 &mda... 続きをみる
>> << それは、正に「法を作る力」であり、「法の窮極に在るもの」である。しかし、シエイエスの場合には、憲法制定権力を持つところの国民の意志は、法の性格を洗い去った赤裸々な力ではなく、それ自身がすでに法なのである。国民が憲法制定権力によっていかなる法をも作り得るということ... 続きをみる
「ノモスはついに王である。けれども、王たるノモスは実定法の原則ではなくて、自然法の理念である。自然法によって認証された力が、すべての実定法の源となるのである。しかるに、実定法の最高の原則は憲法である。故に、この力は「憲法制定権力」である。かように、a — review (@myenzy... 続きをみる
先に取り上げたヘーゲルのルソーに対する批判は次のようなものである。 「ところでしかし国家一般の、あるいはむしろ特殊的な国家の、またその法や諸規定の歴史学的な起源がどのようにあり、もしくはどうあったか、国家がまず家父長的な関係から生じたか、恐怖やあるいは信頼から生じたか、a — revi... 続きをみる
「国民のヴォロンテ・ジェネラアルを以って法であるとし、法による拘束をば自由の実現であると説くルウソオの理論が、一方では自由・解放の時代思潮の尖端を行くものであったといわれ、他方で国家の権力を絶対化する思想の根源を成したと解せられるのは、共に理由のあることである。これら二つの — rev... 続きをみる
法の根本原理の学たる法哲学の任務でなければならない。(s.6) ※ この尾高の著作の根本テーマである「法の窮極に在るものは何か」という問いを、私なりに問い直すとすれば、それは「法の概念とは何か」という問いになる。ここでいう概念とは、あらゆる事物をその事物たらしめている — review... 続きをみる
しかし、法の理念が実定法の価値尺度としての意味をもつとき、その理念は、すでに実定法をばその価値尺度にかなうように動かしてゆこうとする意欲によって裏づけられているはずでなければならぬ。実定法に対するかような意欲的・主体的な働きかけをともなわない法の理念は、いかに崇美の空に — revie... 続きをみる