12月20日(水)のTW:#尾高朝雄『法の窮極に在るもの』ノート(15)
>> <<引き続き、尾高からのノート。 しかも、いかに現実が荒涼・殺伐たる有様に見えようとも、なおかつ「ここに薔薇がある、ここで踊れ」 (Hier ist die Rose, hier tanze .)といって、現実をば絶対に肯定・賛美しようとしたヘエゲルは、国際政治の最も... 続きをみる
―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)
>> <<引き続き、尾高からのノート。 しかも、いかに現実が荒涼・殺伐たる有様に見えようとも、なおかつ「ここに薔薇がある、ここで踊れ」 (Hier ist die Rose, hier tanze .)といって、現実をば絶対に肯定・賛美しようとしたヘエゲルは、国際政治の最も... 続きをみる
>> <<引き続き、尾高からのノート。 こうした考え方に立つヘエゲルが、カントの国際連盟組織の構想に対して否定的な批判を下したことは、もとよりいうまでもない。国際連盟のような組織が基礎づけられるためには、いずれの国家の特殊意志をも拘束する法の一般原則があって、 &mdash... 続きをみる
>> <<引き続き、尾高からのノート。 三 国際政治の現実 ところで、国家の意志が絶対に自由な普遍意志であり、国家の法が理性的であると同時に現実的な最高の法であるとすると、国家の上にあって国家の意志を拘束する法はないということにならざるを得ない。それは、国際法の否定である... 続きをみる
>> <<引き続き、尾高からのノート 近世哲学思潮の最高峰として聳えるドイツ観念論哲学は、一方では国際政治の理念を表明するカントの永久平和論を生んだと同時に、他方ではかような戦争不可避論もしくは戦争肯定論の典型を提供するにも事欠かなかった。ヘエゲルの実力国家の思想がそれであ... 続きをみる
>> <<引き続き、尾高からのノート。 三 国際政治の現実 政治は理念を必要とする。いかなる現実政治といえども、理念の旗印を掲げることなしには、その現実の目的を達成することができない。故に政治の現実の中には必ず理念が内在しているのである。 — review ... 続きをみる
>> <<引き続き、尾高からのノート。 第七章 国際法の窮極に在るもの カントがここに、共和的(republikanisch) といっているのは、普通の用語法とは違い、国民が社会の構成員としては自由であり、臣民としては共通の立法に服従し、国家公民としては平等であるという ... 続きをみる
>> <<引き続き、尾高からのノート。 第六章 国内法の窮極にあるもの 天皇は純粋の理念の具象として、あくまでも現実政治の外に立ち給うべきである。正しい立法意志の理念を現実化して行くという仕事は、どこまでも国民が国民自らの権利と責任とにおいてこれを行うべきである。 &m... 続きをみる